「西の魔女が死んだ」のハーブ虫よけ
- 美央
- 2017年10月8日
- 読了時間: 5分
更新日:2019年8月3日
中学一年生の女の子まいと、イギリス人のおばあちゃんの交流を描いた、
やさしく、心温まる物語。
お話に登場する「おばあちゃんの畑の薬」をイメージして、
虫が嫌う香りのスプレーを作ります。

体も弱く中学校に馴染めないまいは、ママの薦めで
森に住むおばあちゃんのもとで暮らすことになります。
”西の魔女” というのは、おばあちゃんのニックネームです。
植物に関する智恵やお天気を読む力、
自分の力で考える頭を持っているおばあちゃん。
ホウキで空を飛んだりするお話の中の魔女じゃなくて、
歴史の中に実在し魔女と呼ばれてきた女性たちの系譜につらなるような印象です。
ハーブが咲き乱れるおばあちゃんの家で「魔女修行」にはげみながら、
まいは少しずつ、笑顔を取り戻していきます。
この暮らしぶりが、本当に素敵なんです。
裏山から野イチゴを摘んで、ジャムを作ったり。
ラベンダー畑にシーツを敷いて、香りづけしたり。

こちらはお客さまが作ってきてくださったケーキ。物語の世界に入り込んだようでした。
さて、まいの魔女修行の大きなテーマのひとつが 「生きるって何?死ぬって何?」ということでした。 この物語では、ふたつの大切なシーンでミントの香りが登場します。
ひとつめは、
まいがおばあちゃんに「自分だけの場所」をもらう日のこと。
おばあちゃんは森の中に一箇所、
まいのためだけの場所をプレゼントしてくれます。 そこには自分の好きな草花を植え、自分の好きな時間を過ごしなさい、と。 その日、おばあちゃんと一緒に作った虫よけの薬を畑にまきながら、 まいはその夢のような場所を思い出し、喜びをかみしめます。 おばあちゃんの「虫よけの薬」はミントとセージのティー。
清々しい草いきれでむせかえるような香りの中、 畑にまかれたそれは、くるくると琥珀色の球になって輝きます。 まいの心を映したような、生きる喜びにあふれたシーンです。
ふたつめは、
まいが「生きものの死」を目の当たりにし、ショックを受けた日。 食欲がないというまいに、おばあちゃんはそっとミントティーを入れてくれます。 (ミントティーは吐き気や胸やけがするときにもよく飲まれます。 おばあちゃんはきっとそのことも知っていたのでしょう) まいはそれを飲みながら「このお茶はわたしの味方だ」と感じます。 「慰め、落ち着け、励まそうとする意志が感じられる」と。 前述のシーンのきらびやかさとは違い、静謐な、穏やかな愛情を感じるシーン。 きらきらした明るさと、ひんやりとまるみのある穏やかさ、 ペパーミントはそれらを持ち合わせた香りだと感じます。

ひつじや宅のちいさなお庭のミント。
熱いものは冷まし、冷たいものはあためると言われるミントの香り、 生と死を象徴するような正反対の印象を持つ二つのシーンに登場し、 それでいて、どちらのシーンにもおばあちゃんの愛情があふれています。 香りと、そこにある思いを全身で感じるまいは、 きっと立派な「魔女」になれる気がするのです。
このワークショップのときは、おばあちゃんの虫よけを再現すべく、
ひつじや宅の小さなお庭でセージを摘んでいきます。

ティンクチャー風にフレッシュセージを漬け込んで、
ペパーミントの精油をあわせて。
と、いうのもセージって、精油としてはほとんど使わないのです。
その理由は、精油のなかには芳香成分が自然にある状態よりも凝縮されたものだから。
セージには刺激の強い成分が含まれていて、
精油として蒸留すると、それらがぎゅっと濃縮された状態になるので
一回に大量に採ることになるのです。
ここで言いたいのは、そして面白いのは
決して「セージの精油がコワイ」ってことじゃなくて、
精油ほどの濃さになると危ない成分でも、
ハーブから直接摂る程度の量だと、 殺菌や消化、強壮と
身体にいい力を発揮するってこと。
薬になるものは、過剰摂取ですべからく毒になる。
お水だってそう。お塩だってそう。
摂り過ぎると身体に悪いけど、摂らないと生きていけません。
それは、たぶん栄養じゃなくても同じことな気がするんです。
適量の闘志は頑張るために必要だけど、多すぎると身を滅ぼすとか。
身体を鍛える運動だって、やりすぎると腱鞘炎になるとか。
わたしたち人間にとって「適度な刺激」になる香りが、
体の小さな虫たちにとっては「危険を感じる」ものだから、
こんな虫よけができるのですし。
「西の魔女が死んだ」にも、
セージではありませんが毒にも薬にもなる植物の描写が出てきます。
このときのおばあちゃんの言葉が、またはっとさせられるのです。
「決してこの汁を口に入れてはいけません。
けれどおもしろいことに、この汁は同時に優れた薬にもなるのですよ。
特に眼病の特効薬です。でも繰り返し言いますが、決して飲んではいけません」
おばあちゃんがひどく真面目な顔だったので、まいも緊張して
「わたし、飲むも何も、決して近寄らないわ」
と、宣言した。
おばあちゃんは、ちょっと微笑んで言った。
「今はね。そのほうがいいかもしれませんね。
でも、そのうち詳しい使い方を書いてあげましょう。
いつか必要なときが来るかもしれませんから」
「よくわからないときは、近寄らないほうが無難」ということも、
「いろんなことを知っておくといつか役立つことがあるかもしれない」ということも、
あたりまえだけど忘れがちな、大事なことだなーと思いながら
繰り返し読みました。
ちなみに、冒頭で触れた野イチゴジャムに、おばあちゃんは砂糖をどっさり。
「そんなにお砂糖をたくさん入れて、体に悪くないの?」って聞くまいに、
おばあちゃんは
「腐らないためにたくさん入れるんですよ。
それに、ジャムは一度にたくさん食べるものじゃありませんから大丈夫。」
って答えるの。
「砂糖=悪!」なのではなく問題なのは「一度に大量の砂糖を頻繁にとる」こと。
そしてそもそもジャム化する目的は「長期保存」なのだというのを見失ってないおばあちゃん。

まいの魔女修行は「生きること、そして死ぬこと」と向き合う時間。
「魂と体」に向き合う時間。
それらはバラバラのものではなく、
バランスをとりながら存在していて、
ちょうどいいバランス感覚、が、おばあちゃんの魔法なのかもしれません。